ツェねずみ
宮沢賢治
ある古い家の、まっくらな天井裏に、「ツェ」という名まえのね
ずみがすんでいました。
ある日ツェねずみは、きょろきょろ四方を見まわしながら、床下
街道を歩いていますと、向こうからいたちが、何かいいものをたく
さんもって、風のように走って参りました。そしてツェねずみを見
て、ちょっとたちどまって早口に言いました。
「おい、ツェねずみ。お前んとこの戸棚の穴から、金米糖がばらば
らこぼれているぜ。早く行ってひろいな。」
ツェねずみは、もうひげもぴくぴくするくらいよろこんで、いた
ちにはお礼も言わずに、いっさんにそっちへ走って行きました。と
ころが戸棚の下まで来たとき、いきなり足がチクリとしました。そ
して、「止まれ、だれかっ。」と言う小さな鋭い声がします。
ツェねずみはびっくりしてよく見ますと、それは蟻でした。蟻の
兵隊は、もう金米糖のまわりに四重の非常線を張って、みんな黒い
まさかりをふりかざしています。二三十匹は金米糖を片っぱしから
砕いたり、とかしたりして、巣へはこぶしたくです。ツェねずみは
ぶるぶるふるえてしまいました。
「ここから内へはいってならん。早く帰れ。帰れ、帰れ。」蟻の特
務曹長が、低い太い声で言いました。
ねずみはくるっと一つまわって、いちもくさんに天井裏へかけあ
がりました。そして巣の中へはいって、しばらくねころんでいまし
たが、どうもおもしろくなくて、おもしろくなくて、たまりませ
ん。蟻はまあ兵隊だし、強いからしかたもないが、あのおとなしい
いたちめに教えられて、戸棚の下まで走って行って蟻の曹長にけん
つくを食うとは、なんたるしゃくにさわることだとツェねずみは考
えました。そこでねずみは巣からまたちょろちょろはい出して、木
小屋の奥のいたちの家にやって参りました。
いたちはちょうど、とうもろこしのつぶを、歯でこつこつかんで
粉にしていましたが、ツェねずみを見て言いました。
「どうだ。金米糖がなかったかい。」
「いたちさん。ずいぶんお前もひどい人だね。私のような弱いもの
をだますなんて。」
「だましゃせん。たしかにあったのや。」
「あるにはあっても、もう蟻が来てましたよ。」
「蟻が、へい。そうかい。早いやつらだね。」
「みんな蟻がとってしまいましたよ。私のような弱いものをだます
なんて、償うてください。償うてください。」
「それはしかたない。お前の行きようが少しおそかったのや。」
「知らん、知らん。私のような弱いものをだまして。償うてくださ
い。償うてください。」
「困ったやつだな。ひとの親切をさかさまにうらむとは。よしよ
し。そんならおれの金米糖をやろう。」
「償うてください。償うてください。」
「えい、それ。持って行け。てめえの持てるだけ持ってうせちま
え。てめえみたいな、ぐにゃぐにゃした男らしくもねえやつは、つ
らも見たくねえ。早く持てるだけ持ってどっかへうせろ。」いたち
はプリプリして、金米糖を投げ出しました。ツェねずみはそれを持
てるだけたくさんひろって、おじぎをしました。いたちはいよいよ
おこって叫びました。
「えい、早く行ってしまえ。てめえの取った、のこりなんかうじむ
しにでもくれてやらあ。」
ツェねずみは、いちもくさんに走って、天井裏の巣へもどって、
金米糖をコチコチ食べました。
こんなぐあいですから、ツェねずみはだんだんきらわれて、たれ
もあんまり相手にしなくなりました。そこでツェねずみはしかたな
しに、こんどは、柱だの、こわれたちりとりだの、バケツだの、ほ
うきだのと交際をはじめました。中でも柱とは、いちばん仲よくし
ていました。
柱がある日、ツェねずみに言いました。
「ツェねずみさん、もうじき冬になるね。ぼくらはまたかわいてミ
リミリ言わなくちゃならない。お前さんも今のうちに、いい夜具の
したくをしておいた方がいいだろう。幸いぼくのすぐ頭の上に、す
ずめが春持って来た鳥の毛やいろいろ暖かいものがたくさんあるか
ら、いまのうちに、すこしおろして運んでおいたらどうだい。僕の
頭は、まあ少し寒くなるけれど、僕は僕でまたくふうをするか
ら。」
ツェねずみはもっともと思いましたので、さっそく、その日から
運び方にかかりました。
ところが、途中に急な坂が一つありましたので、ねずみは三度目
に、そこからストンところげ落ちました。
柱もびっくりして、
「ねずみさん、けがはないかい。けがはないかい。」と一生けん
命、からだを曲げながら言いました。ねずみはやっと起き上がっ
て、それからかおをひどくしかめながら言いました。
「柱さん。お前もずいぶんひどい人だ。僕のような弱いものをこん
な目にあわすなんて。」
柱はいかにも申しわけがないと思ったので、
「ねずみさん、すまなかった。ゆるしてください。」と一生けん命
わびました。
ツェねずみは図にのって、
「許してくれもないじゃないか。お前さえあんなこしゃくなさしず
をしなければ、私はこんな痛い目にもあわなかったんだよ。償って
おくれ。償っておくれ。さあ、償っておくれよ。」
「そんなことを言ったって困るじゃありませんか。許してください
よ。」
「いいや、弱いものをいじめるのは私はきらいなんだから、償って
おくれ。償っておくれ。さあ、償っておくれ。」
柱は困ってしまって、おいおい泣きました。そこでねずみも、し
かたなく、巣へかえりました。それからは、柱はもうこわがって、
ねずみに口をききませんでした。
さてそののちのことですが、ちりとりはある日、ツェねずみに半
分になった最中を一つやりました。するとちょうどその次の日、ツ
ェねずみはおなかが痛くなりました。さあ、いつものとおりツェね
ずみは、まどっておくれを百ばかりも、ちりとりに言いました。ち
りとりもあきれて、もうねずみとの交際はやめました。
また、そののちのことですが、ある日バケツはツェねずみに、せ
んたくソーダのかけらをすこしやって、
「これで毎朝お顔をお洗いなさい。」と言いましたら、ねずみはよ
ろこんで次の日から、毎日それで顔を洗っていましたが、そのうち
にねずみのおひげが十本ばかり抜けました。さあツェねずみは、さ
っそくバケツへやって来て、償っておくれ償っておくれを、二百五
十ばかり言いました。しかしあいにくバケツにはおひげもありませ
んでしたし、償うわけにも行かず、すっかり参ってしまって、泣い
てあやまりました。そして、もうそれからは、ちょっとも口をきき
ませんでした。
道具仲間は、みんな順ぐりにこんなめにあって、こりてしまいま
したので、ついにはだれもツェねずみの顔を見るといそいでわきの
方を向いてしまうのでした。
ところがその道具仲間に、ただ一人だけ、まだツェねずみとつき
あってみないものがありました。
それは針がねを編んでこさえたねずみ捕りでした。
ねずみ捕りは全体、人間の味方なはずですが、ちかごろは、どう
も毎日の新聞にさえ、猫といっしょにお払い物という札をつけた絵
にまでして、広告されるのですし、そうでなくても、元来人間は、
この針金のねずみ捕りを、一ぺんも優待したことはありませんでし
た。ええ、それはもうたしかにありませんとも。それに、さもさわ
るのさえきたないようにみんなから思われています。それですから
実は、ねずみ捕りは人間よりはねずみの方に、よけい同情があるの
です。けれども、たいていのねずみはなかなかこわがって、そばへ
やって参りません。ねずみ捕りは、毎日やさしい声で、
「ねずちゃん、おいで。今夜のごちそうはあじのおつむだよ。お前
さんの食べる間、わたしはしっかり押えておいてあげるから。ね、
安心しておいで。入り口をパタンとしめるようなそんなことをする
もんかね。わたしも人間にはもうこりこりしてるんだから。おいで
よ。そら。」
なんてねずみを呼びかけますが、ねずみはみんな、
「へん、うまく言ってらあ。」とか、
「へい、へい。よくわかりましてございます。いずれ、おやじや、
せがれとも相談の上で。」とか言ってそろそろ逃げて行ってしまい
ます。
そして朝になると、顔のまっ赤な下男が来て見て、
「またはいらない。ねずみももう知ってるんだな。ねずみの学校で
教えるんだな。しかしまあもう一日だけかけてみよう。」と言いな
がら、新しいえさととりかえるのでした。
今夜も、ねずみ捕りは叫びました。
「おいでおいで。今夜はやわらかな半ぺんだよ。えさだけあげる
よ。大丈夫さ。早くおいで。」
ツェねずみが、ちょうど通りかかりました。そして、
「おや、ねずみ捕りさん、ほんとうにえさだけをくださるんです
か。」と言いました。
「おや、お前は珍しいねずみだね。そうだよ。えさだけあげるんだ
よ。そら、早くお食べ。」
ツェねずみはプイッと中にはいって、むちゃむちゃむちゃっと半
ぺんを食べて、またプイッと外へ出て言いました。
「おいしかったよ。ありがとう。」
「そうかい。よかったね。またあすの晩おいで。」
次の朝、下男が来て見ておこって言いました。
「えい。えさだけとって行きやがった。ずるいねずみだな。しかし
とにかく中にはいったというのは感心だ。そら、きょうは鰯だぞ。」
そして鰯を半分つけて行きました。
ねずみ捕りは、鰯をひっかけて、せっかくツェねずみの来るのを
待っていました。
夜になって、ツェねずみはすぐ出て来ました。そしていかにも恩
に着せたように、
「今晩は、お約束どおり来てあげましたよ。」と言いました。
ねずみ捕りは少しむっとしたが、無理にこらえて、
「さあ、食べなさい。」とだけ言いました。
ツェねずみはプイッとはいって、ピチャピチャピチャッと食べ
て、またプイッと出て来て、それから大風に言いました。
「じゃ、あした、また、来て食べてあげるからね。」
「ブウ。」とねずみ捕りは答えました。
次の朝、下男が来て見て、ますますおこって言いました。
「えい。ずるいねずみだ。しかし、毎晩、そんなにうまくえさだけ
取られるはずがない。どうも、このねずみ捕りめは、ねずみからわ
いろをもらったらしいぞ。」
「もらわん。もらわん。あんまり人を見そこなうな。」とねずみ捕
りはどなりましたが、もちろん、下男の耳には聞こえません。きょ
うも腐った半ぺんをくっつけていきました。
ねずみ捕りは、とんだ疑いを受けたので、一日ぷんぷんおこって
いました。夜になりました。ツェねずみが出て来て、さも大儀らし
く言いました。
「あああ、毎日ここまでやって来るのも、並みたいていのこっちゃ
ない。それにごちそうといったら、せいぜい魚の頭だ。いやになっ
ちまう。しかしまあ、せっかく来たんだからしかたない。食ってや
るとしようか。ねずみ捕りさん。今晩は。」
ねずみ捕りは、はりがねをぷりぷりさせておこっていましたの
で、ただ一こと、
「お食べ。」と言いました。ツェねずみはすぐプイッと飛びこみま
したが、半ぺんのくさっているのを見て、おこって叫びました、。
「ねずみとりさん。あんまりひどいや。この半ぺんはくさってま
す。僕のような弱いものをだますなんて、あんまりだ。償ってくだ
さい。償ってください。」
ねずみ捕りは、思わず、はり金をりゅうりゅうと鳴らすくらい、
おこってしまいました。そのりゅうりゅうが悪かったのです。
「ピシャッ。シインン。」えさについていたかぎがはずれて、ねず
み捕りの入り口が閉じてしまいました。さあもうたいへんです。
ツェねずみはきちがいのようになって、
「ねずみ捕りさん。ひどいや。ひどいや。うう、くやしい。ねずみ
捕りさん。あんまりだ。」と言いながら、はりがねをかじるやら、
くるくるまわるやら、地だんだふむやら、わめくやら、泣くやら、
それはそれは大さわぎです。それでも、償ってください、償ってく
ださいは、もう言う力がありませんでした。
ねずみ捕りの方も、痛いやら、しゃくにさわるやら、ガタガタ、
ブルブル、リュウリュウとふるえました。一晩そうやってとうとう
朝になりました。
顔のまっ赤な下男が来て見て、こおどりして言いました。
「しめた。しめた。とうとう、かかった。意地の悪そうなねずみだ
な。さあ、出て来い。こぞう。」
出典
底本:岩波文庫、岩波書店
「童話集 銀河鉄道の夜 他十四編」
1951年10月25日第1刷発行
1966年7月16日第18刷改版発行
2000年5月25日改版第71刷発行
入力:のぶ
校正:noriko saito
2005年5月12日作成
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